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梅原大吾さん

ビデオゲーム上で勝敗を競い合う「eスポーツ」。数あるジャンルのなかでも国技とまでいわれる対戦型格闘ゲームの世界で、日本初のプロ格闘ゲーマーとして活躍するのが、「ウメハラ」こと梅原大吾選手です。ロッテでは、梅原選手のためにカスタマイズした「プロフェッショナルガム」を開発し、話題を集めました。世界トップクラスの実力を持つ梅原選手は、ビースト(野獣)の異名を持ち、リビング・レジェンド(生きる伝説)としてリスペクトされています。しかし、これまでの歩みは、決して平たんではありませんでした。eスポーツのトップランナーの生き方に迫ります。

一日で286連勝した14歳 ウメハラ伝説の幕開け!

——日本のeスポーツをリードする梅原大吾選手が、初めてコンピューターゲームで遊んだのはいつでしたか。

5歳ごろだったと思います。7歳離れた姉に「ファミコン(ファミリーコンピュータ)という家で遊べるすごいゲーム機がある。2人で両親にお願いして買ってもらおう」と言われて。それがかなって、最初に遊んだのはアクションゲームの「スーパーマリオブラザーズ」。感動しましたね。こんなに面白いものがあるんだと。

——幼いころから、ゲームは身近にあったのですね。

ええ。さらに10歳の時、街中のアーケードゲーム(お金を払って遊ぶ業務用ゲーム機)で流行し始めていたのが、対戦型格闘ゲームでした。プレイヤー同士が1対1で対戦する新しさ、迫力ある画面と音の演出に、衝撃を受けたものです。はじめは近所の駄菓子屋の店先で遊んでいましたが、しばらくしてゲームセンター(ゲーセン)に行くようになりました。あのころはブームの真っただ中。新作がどんどん出て、いろいろ遊びました。そのなかには、対戦型格闘ゲームのジャンルを確立させた「ストリートファイターII」シリーズもありました。

——そして、中学生になった梅原選手は、「強いヤツがいる」と知られた存在になっていく……。

中学2年、1994年のころでした。僕がやり込んでいて、毎年のように新要素を加えた新作が出ていた「ストリートファイターII」シリーズに変わって、新たに登場した「ヴァンパイア」や、その続編「ヴァンパイア ハンター」にのめりこみました。それまでの経験が生きたのか、「ヴァンパイア ハンター」ではとにかく勝ち続けました。

——かなり有名な逸話で、一日で286連勝されたとか。

そう、そんなことがありました。閉店時間までプレイして。当時は、連勝すると(相手次第ですが)長くプレイできました。ゲーセンでは、年の離れた人たちと会話できる、それが楽しかったんです。ゲーセン通いはそのころから、22歳ごろまで続きます。8年間、363日――大みそかと元日を除いた毎日です。一日でも欠かしたら、実力が落ちるのではないか、と思っていて。それだけ打ち込んでいたともいえますし、本音を言えば、現実逃避みたいなところもありました。人生の中でも重要な時期にそんな生活をしていたのは、「好きなものを徹底的にやれ」と言って育ててくれた両親の理解もあったとはいえ、いまから考えるとちょっと自分でも信じられないですね(苦笑)。

世界の頂点に立つも、一時は別の道へ…介護の世界で、自分を取り戻す

——努力が実を結び、梅原選手は、ゲームセンター専門誌が主催した国内大会を15歳(1997年)で制します。さらに、ゲームメーカーが企画した国内大会と世界大会を17歳(1998年)で勝ち、世界一に上りつめました。次の目標としては、どんなことを考えたのでしょうか。

強いて言えば、国内大会の連覇を目指しました。当時、1998年の世界大会は、メーカーが企画した最初で最後の世界大会、とされていた事情があったからです。もっとも、2000年以降、世界最大級の対戦型格闘ゲームのeスポーツ大会「Evolution Championship Series(EVO)」などが定着して盛り上がりを見せ、僕もまた世界大会に挑戦するようになりましたが。

——1998年当時はまだ、世界的なeスポーツの土壌は出来上がっていなかったのですね。

そうですね。あの時点では、それ以上大きな大会が望めず、世界に挑戦していくような大きな目標は描けない……。そんなことから、徐々に自分の将来も気になり始めました。高校卒業後は、不安を感じつつも、アルバイトをしながらゲーセン通いと大会出場を続けました。しかし、バイト仲間たちが社会に出始め、いよいよ自分も生活を変える時期に来ました。最後に、これだけは挑戦したい、と心に決めて23歳の時に出場したのが世界大会の「EVO2004」でした。

——2004年、この大会の「ストリートファイターIII 3rd STRIKE」部門の準決勝で、梅原選手は「伝説」をつくりました。梅原選手が操作するキャラクターの体力がほぼゼロの絶体絶命の状況から、対戦相手の繰り出す技をすべて受けきり、逆転勝ちをおさめました。「背水の逆転劇」と呼ばれています。その模様は動画配信され、世界を驚かせました。

結果も残したかったけれど、自分のゲーム人生の最後になるかもしれないから、自分らしいプレイがしたい。みんなの印象に残るような試合ができたら、という気持ちでした。あの動画が、すぐにものすごい話題になっていたこととはつゆ知らず、僕がそのことをしったのはずいぶんあとになってからでした。あの大会以降、以前ほどの情熱が薄れ、eスポーツの世界から遠ざかってしまったからです。

——せっかく打ち込んできたのに、ですか?

若いころは「ゲームによって、人生を変えていけるはずだ」と思っていたんですよね。誰よりも熱意があって、実績も知名度もついてきた。これを積み重ねたら、人生は開けていき、世の中でもっと評価されるのではないか、と。しかし、思うようにはいかないものです。ゲームをやめるとは、自分自身を変える挑戦をあきらめること——そんな思いもありました。そういう葛藤の末に、さっぱり足を洗ったのです。

——その後、どんな仕事に就かれたのでしょうか。

サラリーマンには向かないだろうと思って、ゲームと近しい勝負の世界に目を向けて、雀荘で働きながら麻雀のプロを目指します。しかし、職場となった雀荘は複雑な人間模様のある世界。真剣に打ち込んでそれなりのレベルに達したものの、人と競うことにも疲れ、3年ほどでやめました。それから26歳(2007年)の時に、介護施設でヘルパーの仕事に就きました。

——介護の仕事はいかがでしたか。

入居者のみなさんから感謝され、癒やされる職場でした。先輩たちにもとてもよくしていただきました。働き方も競争とは無縁。そういう雰囲気の中で働き、これまでの自分は、ずいぶん心が疲れていたんだな、と気づきました。仕事で感謝されたことで、心は軽くなっていきました。貴重な体験をさせていただきました。

一日16時間は当たり前! やりすぎてしまった「プロ1年目」

——ところが、梅原選手は再びeスポーツの世界に戻ってきます。どんなきっかけがあったのですか。

心身の健康を取り戻しつつあった2008年、新作の「ストリートファイターIV」が出て、友人がしきりに「やろう、やろう」と誘ってくれました。あまりに執拗に誘うので、躊躇しながらも深みにはまらない程度にしようと決めて足を踏み入れました。それが、ブランクがあったにも関わらず勝てるわけです。負けず嫌いな性格も手伝って、介護職を続けながらも、夢中になりました。そうしたら2009年、「(かつて『背水の逆転劇』を演じた)あのウメハラが復帰した」と海外で大騒ぎになり、米国のeスポーツ大会参加のオファーが届き……その大会で、優勝。自分の輝ける場所はやはりここだ! その気持ちを抑えきれず、再び戻ってきたんです。

——さらに2010年には、アメリカのゲーム関連メーカーが梅原選手に、スポンサー契約をオファーします。

内心は「ついにこの時が来たか」と思う一方で、そんなにうまい話があるのか、日本で前例のないプロ格闘ゲーマーが仕事になるわけないんじゃないか……と、長い間深く悩みました。でも「あの時、オファーを受けていたら、どうなっていたんだろう」と後悔するのはイヤでした。いまのマネージメントの熱心なお誘いにも後押しされて、お受けすることにしたんです。

——日本初のプロ格闘ゲーマーになっただけでなく、同じ年には「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」としてギネス認定されました。eスポーツのプロになって、取り組み方は変わりましたか。

大会に出て勝たなくてはと、プロ1年目はひたすら練習しました。一日16時間は当たり前。多い日は20時間。ゲーム以外のいっさいの活動を自分に許していませんでした。極端に言うと、寝て、目が覚めたら練習する。限界が来たら、寝る。その繰り返しでした。その結果、世界大会の「EVO2010」で優勝(しかも、前年に続く2連覇)できましたが、肉体的にも精神的にも限界に。それ以降は、計画的に、効率を考えて練習するようになりました。

——どんなふうに、練習するのですか。

オンライン対戦を通じて、他のプレイヤー相手に、実戦を積み重ねていくんです。ちなみに、相手に「勝つ」ために必要なことはいくつかありますが、知識が一番大事ですね。対戦型格闘ゲームでは、キャラクターを思い通りに動かして技を繰り出す「技術」や、相手の出方への「読み」が欠かせません。読みとは、動きのパターンから判断することなので、さまざまな状況を知識として記憶することが必要。そして、知識を得るには、やはり練習なんです。

——どういうことでしょうか。

練習中(相手との対戦中)、苦戦を強いられる場面が必ず出てきます。その状況を分析して、対処法を考え抜く。すると、こうすれば有効だ、勝てそうだ——という結論に至る。このような、自分なりの「答え」こそ知識です。もっと言うと、こうした知識をもとに、あるキャラクターが対戦相手なら、どんな戦法で戦うか——戦略を立てて試合に臨みます。知識は一度身に着けたら、それで終わりではありません。メーカー側は定期的に、キャラクター間の強弱のバランス調整を行うので、その対応が必要だからです。

夢は「1万人大会」開催 そしてこの先も、トップレベルで

——梅原選手はプロとして、どのような信念をお持ちでしょうか。

プロになれたということは、社会的な価値を見いだされて、仕事になったことを意味します。とくに、経験を重ねて思いを深めたのは、プロになったことがゴールではない。そのうえで、勝負の場以外でも、自分が満足していなければ意味がない。そして、自分はどこにやりがいを感じるか——ここまで意識できて、ようやく(プロであることの)目的達成ではないか、と。そこでいまは、どうすれば自分の活動が有意義になるのか、よく考えています。

——そんな思いを胸に、梅原選手は国内外の大会への出場を軸としつつも、日々の練習の様子を公開するゲーム配信、ご自身が大会を企画されるなど、eスポーツの発展も視野に活動されていますね。

ひとつ力を入れているのが、定期的に開催している、初心者向けの大会です。対戦型格闘ゲームをたくさんの人に楽しんでほしいので、初心者の定着もねらって企画しています。そして、いずれは「1万人大会」を開催したい! 子どものころの最盛期には、観客を含めて8500人が集まり、日本一をかけて戦った大会がありました。プロとして活動するいま、やはりあの時の熱狂にはひかれるものがあります。あの熱をまた味わいたいし、みなさんにも体感してもらいたい。ぜひとも「1万人大会」は実現させたいですね。

——その日を、心待ちにしています! 今回のインタビューは「うれしい」をキーワードにしていますが、普段から好きなこと、最近うれしかったことはなんでしょうか。

ほとんどの時間をゲームに関することに費やしているなかで、散歩は好きです。朝起きたら散歩。夕方も欠かしません。それと先日、ロッテさんからいただいた、ブルーベリー味の「プロフェッショナルガム」はうれしいプレゼントでした。

——ロッテ中央研究所「噛むこと研究部」の啓発取り組みの一環で実現した「プロフェッショナルガム」(非売品)のことですね。その贈呈式イベントが2021年10月、都内で行われました。

ブルーベリーのフレーバーに決めたのは、昔、ゲーセンに行く時、お金と、ロッテの「ブルーベリーガム」をポケットに入れていた思い出があって選びました。味のほかに、ガムの形状には粒タイプを、硬さにはハードタイプをそれぞれ選ばせていただき、自分好みに仕上げてくださいました。このガムは、散歩中、ゲーム配信中など、いろんな時に噛んで楽しみたいですね。今後も。日々の活動に「噛むこと」を積極的に取り入れたいと思います。

贈呈式イベントには、プロフェッショナルガムを手掛けた中央研究所の研究員・上村学(左)、監修者の武田友孝教授(東京歯科大学口腔健康科学講座スポーツ歯学研究室、右)も参加して、「eスポーツにおける咀嚼(噛むこと)の重要性」というテーマでトークセッションなどを実施。武田教授は「噛むこと」の影響について、科学的な視点も交えてアドバイスした

——ありがとうございます。最後に、この先、思い描いているビジョンを教えてください。

対戦型格闘ゲームをはじめとしたeスポーツの「プロ」は、まだ歴史の浅いカテゴリーです。自分にとっても、40歳を過ぎてどれだけトップレベルで戦えるか——まだ誰も通ったことがない道ですから想像もつきません。でも、プロとなった以上、できるだけ長い間、最前線で戦いたい。そして、過去には一度あきらめた道でしたが、縁あっていまこうして活動していることにも感謝して、eスポーツを盛り上げられたらと思っています。

取材・文 鳥居裕介

梅原大吾(うめはら・だいご)
梅原大吾(うめはら・だいご)
1981年生まれ。青森県出身。対戦型格闘ゲームの世界において、14歳で頭角を現し、15歳(1997年)の時に全国大会ゲーメスト杯「ヴァンパイアセイヴァー」で優勝し、日本一に。17歳(1998年)の時にはカプコン公式「ストリートファイターZERO3 全国大会」で優勝後、日本大会優勝者として参戦した日米決戦「STREET FIGHTER ALPHA3 WORLD CHAMPIONSHIP」で勝利し、世界一に。2010年、日本人初のプロ格闘ゲーマーとなるとともに、「世界で最も長く賞金を稼いでいるプロゲーマー」としてギネス認定された。直近では2021年10月、カプコン主催「ストリートファイターV」のツアー大会「CAPCOM Pro Tour Online 2021『日本大会3』」で優勝を飾った。現在のスポンサーに、レッドブル、HyperX、Mildom。著書に、『勝ち続ける意志力』『勝負論 ウメハラの流儀』(小学館新書)など。@daigothebeastJP

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