「イートロス」って何? 噛むこととの関係性とは

私たちが生きるためには「食べる」ことが必須である、ということを日常生活で意識している人は、少ないのではないでしょうか。食べることができなくなれば、生物は死に至ります。それほど、「食べる」ということは生命活動にとって重要なことです。今回は、「食べる」ことと噛むことの関係性について、「食べる」ことを支える活動を総合的に行っている、東京大学大学院医学研究科イートロス医学講座特任准教授の米永一理先生にお話を伺いました。

「イートロス」とは、どういうことなのでしょうか?

「イートロス」というのは造語で、食べられない状態が続くことを指します。 「食べること」は人が生きる根幹です。しかし、当たり前すぎて日常では意識されることが少なく、食べることの維持のための行動をとる人も少ないのではないかと思います。 そこで、多くの人に「食べられない」状態が続くのはよくないことだと知ってもらい、関心を持ってもらうために、メタボリックシンドロームの「メタボ」やロコモティブシンドロームの「ロコモ」のように、覚えやすい名称として「Eating Loss」から「イートロス」としました。 健康寿命をまっとうするためには、いかにイートロスを予防し、早期発見、早期治療につなげるかが重要な課題です。 そのために東京大学大学院でイートロス医学講座を発足し、イートロスに関する予防・診断・治療を学問として体系化して、研究、教育、臨床を実践することを目指しています。

イートロスが起こるのはなぜでしょうか? また、どのような症状につながるのでしょうか?

イートロスは、実はかなり身近な問題で、気づかないうちに陥っていることもあります。原因としては疾病や加齢などの身体的問題、そして認知機能障害や抑うつなどの精神・心理的問題や、独居・貧困・閉じこもりなどの社会問題が要素加わり、心身ともにだんだんと動かなくなることで、徐々に自分では食べられなくなり、イートロスとなってしまうのです。

イートロスになると、カへキシアという状態につながります。カへキシアは耳なじみのない言葉かもしれませんが、人の3大苦痛のうちの一つと言われており、低栄養により、やせ細って骨と皮だけになった状態のことをいいます。カへキシアには明確な対処法がまだ確立されておらず、症状が進行してしまうと、回復は難しいといわれています。

イートロストは「食べられない状態が続くこと」

噛むことは、イートロスの予防につながるのでしょうか?

結論からいうと、「よく噛んで、モグモグゴックン」がうまくできれば、イートロスの回避が期待できます。 「噛む」ことは口腔機能全般の維持につながりますから、イートロスの予防といった観点からすると、非常に大切な要素です。

また、口腔環境を清潔に保つことも大切です。低栄養やカへキシアの根底にある因子として炎症がありますが、実は歯周病菌や虫歯菌などのお口の中の菌は、炎症の原因になります。口腔内の悪い菌が、歯茎の血管を通じて体内に散らばり、あちらこちらで炎症を起こすことで、さまざまな病気に関与する場合があります。例えば糖尿病や認知症などの発症や増悪にもこれらの炎症が関与している可能性があるのです。

よく噛むことは、食べることの維持だけでなく、唾液を出すことで口腔環境を整えますから、イートロスの予防としては手軽で重要な役割を持っているといえます。もちろん、歯磨きで口腔環境を清潔に保つことも必要不可欠です。

イートロストを防ぐために「噛むこと」をどのように意識すればよいか?

イートロスを防ぐために、日常生活でどうすればいいのでしょうか?

まずは、イートロスという状態について、知ってもらうことができればと考えています。 日本では2040年に、イートロスの人が1000万人いると私たちは考えています。そして、イートロスによって低栄養状態になる人が600万人。イートロスがひどくなってカヘキシアになる人が200万人。さらに、カヘキシアが進行し亡くなる人が170万人にのぼると予測されています。

死へのイートロス多段階トラップ

「イートロスに陥るリスクを誰もが抱えている」ということを、知っているのと知らないとでは、結果が違ってきます。イートロスの段階で介入して予防できれば、その後の低栄養、カヘキシアを減らすことができ、さらにはカヘキシアで苦しんで死亡する人を減らすことができるわけです。 イートロスを防ぐとは、「食べる」を維持することです。 また、健康診断や検査で異常が見られない程度の軽度の心身不調なら、食生活習慣で対応できます。イートロスを減らせれば、介護状態になることも減らすことができます。 そのためにも、日ごろから健康を維持するためによく噛んで食事をしたり、行動を自ら行えたりするヘルスケアシステムの構築が必要です。それができれば、健康寿命を延ばすことができると同時に、社会における幸福度も上げることができるのではないでしょうか。

米永 一理(よねなが・かずみち)先生

東京大学大学院医学系研究科 特任准教授
(2023年7月現在)

鹿児島大学歯学部卒業後、東海大学医学部卒業。博士(医学)(東京大学)。東京大学顎口腔外科・歯科矯正歯科助教、十和田市立中央病院総合内科医員、JR東京総合病院総合診療科医長、十和田市立中央病院附属とわだ診療所院長を経て、2020年4月より現職。「食べる」を支える活動を総合的に行っている。