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国王が愛した新大陸からもたらされたチョコレート
2018年にポルトガルが発行した“チョコレートの歴史”の切手シート

ヨーロッパにカカオの実を初めて持ち込んだのはクリストファー・コロンブスですが、食品化されたチョコレートをヨーロッパにもたらしたのは、1544年、ユカタン半島の先住民、ケクチ・マヤ族の使節がスペインのフェリペ皇太子(1556年に国王フェリペ2世として即位)を訪問した際、容器に入れた飲料のチョコレートを献上したのが最初とされています。

ちなみに、1521年にアステカを征服した、スペインの探検家エルナン・コルテス(1547年没)の一行は、すでに現地でカカオ豆にとうもろこしの粉やスパイスを加えたチョコレートを飲んでおり、スペインでも“珍奇な新大陸の飲み物”の存在は知っていたようです。なお、固形のチョコレートが発明されたのは1847年のイギリスで、それ以前のチョコレートは原則として飲み物でした。

さて、チョコレートはフェリペ皇太子に大いに気にいられ、スペインの宮廷ではチョコレート飲料が急速に広まります。ほどなくして、アメリカ大陸の植民地ではカカオのプランテーション栽培も始まります。

当初、スペインでのチョコレートのレシピはケクチ・マヤ族のものと同じでしたが、次第に、ヨーロッパ人の好みに合わせたものになっていきます。砂糖や牛乳を加え、コショウやシナモン、ローズオイル、麝香(じゃこう)などの香料が入れられるようになりました。ただし、そうしたレシピは17世紀にいたるまで、スペイン王室が門外不出の秘中の秘として厳重に保管していました。

ところで、1580年、スペインの隣国、ポルトガルでは国王エンリケ1世が亡くなりましたが、後継者は決まっていませんでした。そのころ絶頂期を迎えていたスペインのフェリペ2世は自分がエンリケ1世の甥(おい・姉の子)であることを理由にポルトガル王位を要求。リスボンを陥落させ、ポルトガルとスペインが合同しないという条件の下、フェリペはポルトガル王(ポルトガル王としてはフィリペ1世)に即位します。

ポルトガル王を兼ねることになったフェリペは、ポルトガルの宮廷に宮廷ココア担当官“チョコラティロ”を設け、これにより、ポルトガルはヨーロッパで2番目にチョコレートを飲用する国となり、植民地のブラジルでもアマゾンを中心にカカオの実が収穫され、大西洋岸の港町、サルバドール(バイーア)から本国向けに盛んに輸出されました。

なお、ポルトガルは1640年、ブラガンサ家のジョアン4世がポルトガル王として即位し、スペインとの同君連合を解消しますが、チョコレートを愛飲する習慣はその後も引き継がれます。

2018年7月16日、ポルトガルが発行した切手シートには、左半分に、大西洋を挟んでブラジルとポルトガル本国の地図と現在の板チョコを背景に、アステカ時代の遺跡から出土したカカオの実を手にした先住民をかたどった土器を、右半分には廷臣に囲まれながらチョコレートが注がれるのを待つ国王ジョアン5世(在位1706-50年)を描いた油絵を、それぞれ取り上げた切手が収められています。この1枚で、ブラジルから海を越えてやってきたカカオがリスボンの宮廷で国王も愛飲したチョコレートになるというイメージが表現されているわけです。

なお、シートの余白には色鮮やかなカカオの実が描かれていますが、こちらは、フランスの植物学者エティエンヌ・デニス(1785-1861年)の手になるもので、ポルトガルとは直接の関係はありません。

内藤陽介(ないとう・ようすけ)
郵便学者。切手をはじめ郵便資料から国家や地域のあり方を読み解く「郵便学」を提唱し、研究・著作活動を続ける。著書に『日の本切手 美女かるた』(日本郵趣出版)、『外国切手に描かれた日本』(光文社新書)ほか。
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