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林 静一先生と小梅ちゃん

ロッテのキャンディ「小梅」のキャラクター「小梅ちゃん」のイラストでもおなじみの林 静一さん。美人画の名手でありながら、実写映画の監督やアニメーション作家としても活動を続けてきた林さんに、時代を超えて愛される小梅ちゃんの魅力や、独自の芸術観についてお話を伺いました。

甘酸っぱい初恋を和装の少女で表現

1982年 パッケージ初登場の小梅ちゃん

——キャンディ「小梅」が発売されて45年が経ちました。今なお愛されているキャラクター「小梅ちゃん」は、どのような経緯で誕生したのでしょうか。

発売の前年に担当の方とCM制作の打ち合わせをしたのですが、その際、商品名である小梅に“ちゃん”を付けた「小梅ちゃん」という女の子のキャラクターと、甘酸っぱい味を初恋で表現するというコンセプトを提案された記憶があります。それを受け、和装の少女を描きました。当時、川端康成の『伊豆の踊子』や、伊藤左千夫の『野菊の墓』といった「少女の恋」をテーマにした小説が映画化されていて、日常で和服を着る女性は珍しくなっても、文化としては身近にありました。初恋がテーマなら、15歳くらいの少女に着物を着せるのがいいのではと思い浮かんだのです。

最新の「小梅」パッケージ

―45年の間に、「小梅ちゃん」の姿は少しずつ変化しています。意図的に変化を加えているのでしょうか?

難しい質問ですね。ディズニーのキャラクター「ミッキーマウス」ですが、昔はもっとリアルなネズミに近いデザインでした。そのミッキーマウスをアニメーターが描くうちに、現在の洗練されたミッキーマウスになったのです。現在では日本に昔からある絵描き歌「まるかいてちょん」みたいに、アメリカのコインを使って描けるようになりました。円に耳を描けば顔が出来上がるでしょう? アニメーターの手によって描き続けられ、一つのキャラクターとして完成されたのです。小梅も、最初のイメージから、この辺かな、この辺かな、と、リアルな女の子像を探して描き込んできた結果、今のような姿に固まってきたのだと感じています。髪形もね、初期の小梅は決まっていなかったのですが、模索しているうちに“桃割れ”が定着していきました。吉永小百合さんや山口百恵さんといった映画『伊豆の踊子』の歴代ヒロインを思い浮かべて、「いけるのでは」と思ったのです。 キャラクターというのは、長い年月をかけて描き込むうちに出来上がっていくものなのでしょう。小梅ももう少し変わっていくかもしれないけれど、そのうち誰でも描ける「小梅ちゃん」キャラが確立するのだと思います。

——小梅ちゃんがヒットした最大の理由はどこにあったとお考えですか?

日本中の人の目が外国を向いていたあの時代に、あえて日本的な感覚を持ってきたことではないでしょうか。当時は、ライフスタイルやファッションは欧米に倣うのが当たり前で、日本の多くの作り手は外国だけを見ていました。「日本は遅れている」という焦りがそうさせたのだと思うんです。何しろ、1975年のベニス国際広告映画祭で「小梅」のCM作品シリーズ3作目の『雪国』が銅賞を受賞した際、上映会で観客や審査委員が映像に合わせて「小梅ちゃ~ん」と叫ぶのを見て、日本の広告業界の方たちは驚いていましたから。なぜ、こんな時代遅れのCMが受けるのかと(笑)。でも、昔から黒澤明監督の時代劇作品にも外国人のファンは多いですし、日本的な文化は時代に流されず、ずっと身近にあり評価もされていた。そこに視点を持ってきたところが、ヒットの一番の要因だったと思います。

ベニス国際広告映画祭銅賞を受賞した、CM『雪国』(1975年)

横顔がその人の生き方を語る

左:絵画作品‐1 / 右:絵画作品‐2

——ところで、先生の描く美人画は横顔ばかりです。小梅ちゃんも多くが横顔です。なぜでしょうか。

横顔のほうが女性のナイーブな情感が伝わりやすい、と私は思います。人の略歴として使われる「profile」には「横顔」の意味がありますよね。つまり、横顔とはその人の生き方を語るものだと思うんです。ところが歴史的に見ても、肖像画で横顔を描く画家って実に少ない。西洋画でも顔の向きが7対3で斜めに描かれている絵が多いですし、浮世絵の歌麿が描く美人画も、多くは七三です。

——だからあえて横顔に挑戦した?

そうですね。例えば、男性の胸に顔をうずめている女性の横顔や、彼のことを思いうつむきながらじっと耐えている横顔っていいと思いませんか。この認識は世界共通。国は違ってもわかり合える気がします。もちろん、潤んだ目でこちらを直視している正面から見た表情は、それはそれで美しいですよ(笑)。でも、本人が意識して作ったものではない、無防備な表情は横顔に現れる。それはすごく自然な状態で、つまりはリアルな女性像だと思うんです。私はそれを伝えたい。また、横向きのポーズだと、顔の下に空間が生まれます。その抜けたスペースに手の動きを加えることができるでしょう? 読書やピアノを弾いている姿を捉えるときでも、正面を向いていると身体が邪魔して本やピアノを描きにくくなるのですが、横向きなら描き込めます。とはいえ、正面や七三のポーズでも、フェルメール(ヨハネス・フェルメール)のように巧みな構図で情感をうまく表現できる画家もいます。『牛乳を注ぐ女』を見ると、牛乳をこぼさないよう神経を集中させている緊張感が伝わってきます。

絵画作品‐3

新しいメディアが面白い

——アニメーション作家、実写映画の監督、漫画家、画家と多岐にわたって活躍されている先生ですが、もともとはアニメーターとして就職されたと伺いました。他分野で活動されるようになったのには、何か理由があるのでしょうか?

多様な表現が芽吹いた時代でしたから、特別な理由があるというよりは、自然な流れだったのだと思います。戦後のアメリカンポップアートが盛んな時期に活躍していた若者たちは、絵や音楽だけでなく、詩もエッセイも書くし、映像作品も撮るというように渡り歩いていましたから。自由に動きたいというかね。いろんなものに表現が移りやすい時代でした。人間は好奇心が強い生き物。だから前世代が固めていた文化を飛び越えることができてしまうんです。

総天然色山水画漫画『夢枕』より

——常に新しいものに駆り立てられていったということなのですね。

そうでしょうね。私の場合はメディアへの関心しかなかったですが。当時は、自動車も進化を遂げていて、次々と新車が誕生していたけれど、そこには飛びつきませんでした(笑)。路上アーティストの先駆者、バスキア(ジャン=ミシェル・バスキア)は、発売されたばかりのゼロックス(コピー機)を用いて作品を発表していますが、私もゼロックスを使った事があります。コピー芸術が目の前でできること自体が衝撃的で挑戦せずにはいられなかった。でもそれって、複写が容易ではなかった時代を知っているから驚きになるわけです。生まれる前からコピーはあって当然だった現代の若者には、この驚きはわからない。でも、SNSが出てきたときは驚いたでしょ? 当然ではなかったことを知っているからこそ、新しいメディアを面白がれる、ということなのだと思います。

——そういえば、ブログに書いていらっしゃいましたが、NHK朝の連続ドラマ『なつぞら』の主人公なつのモデルになったとされる奥山玲子さんとは同時期に働いていらっしゃったんですね。

はい。奥山さんはパワフルな方でしたね。会社には芸術大学出身者が多かったからか、個性豊かで面白い仲間が多かったのですが、奥山さんを始めとする女性陣も、みなさんエネルギーにあふれていて。当時、女性はそれが普通なのだと思っていました(笑)。

——小梅ちゃんは今も魅力にあふれていますし、漫画雑誌ガロに連載された『赤色エレジー』は、約40年後の2007年に静止画で構成したアニメーション「画ニメ」としてリメイクされました。美人画にはCGを駆使した作品もあります。林先生が時代を先取りしつつ、色あせることのない作品を作り続けることができる秘訣(ひけつ)を、少しだけ教えていただけますか?

『赤色エレジー』の一場面

消えていってしまうものと、残るもの、それらの境目を見極めることでしょうか。恋愛だってそうでしょう? 好きだった人と別れることもありますよね。こんなこと言っちゃだめかもしれないけど(笑)、別れれば、次の人との出会いが巡ってくるわけですし、その人から何かを学べたり、新しいことを始めたりもできるかもしれない。人生ってそういうふうにできているものなのだと思います。だから、ひるまずチャレンジするってことでしょうか。

「小梅」ブランドサイトはこちら

取材・文 辻 啓子

林 静一(はやし・せいいち)
林 静一(はやし・せいいち)
1945年生まれ。満州(現・中国東北部)出身。イラストレーター、漫画家、アニメーション作家。62年、アニメーターとしてアニメ制作会社東映動画に入社。67年に漫画雑誌『ガロ』(青林堂)に作品を発表し漫画家デビュー。70年から漫画『赤色エレジー』の連載を開始。翌年、同作をモチーフにした歌手あがた森魚のシングル曲『赤色エレジー』がヒットし、その時代の風俗を象徴する作品となる。74年からロッテのキャンディ「小梅」のCMアートディレクションを担当し、76年ベニス国際広告映画祭銅賞、クリオ映画祭特別賞、電通賞など内外のCF映画祭にて受賞。78年「林静一の世界」展を開催し、サンリオ美術賞を受賞。84年には、絵本『ねこのしゃしんかん』でボローニャ国際児童図書展エルバ特別賞を受賞する。その後、数多くの展示会を開催。90年に第3回広島国際アニメーションフェスティバルで国際選考委員となる。2004年には、ロッテ「小梅」30周年記念CFを制作。画家、実写映画の監督、アニメーション作家など、多才な活躍をみせる。
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